一番最初の私に考えるきっかけを与えたのは中学だか高校の英語の教科書でした。
内容はあるアメリカ人が日本に来た時の話で、日本人との食事をテーマに書かれた話の中に「山で自分で狩をしてそれを食べた、というと日本人、特に女性はそんな野蛮なというような嫌な顔をする。けれど、自分達は食卓に並ぶ肉を食べているのに。」という物がありました。
それを読んで以来、自分でさばけないものを食べる資格があるのだろうか?私はそういう状況になったときに自分で動物を殺して食べるだろうか?と考えるようになりました。
それが出来る肉食の方に文句をいう気はありません。
でも、それが出来ないのなら私は自分でそれを体験する日まで肉を食べる資格がないように思えてきたんです。
高校時代にお世話になったホストファミリーが厳格なベジタリアンだったこともあり、その頃からセミ・ベジタリアンとノン・ミート・ベジタリアンを行き来してる状態だったんですが、また突然肉を食べる食生活に一度戻ってしまったんです。
それでもベジタリアンの生活をしている時の方が体調はよかったことから、ベジタリアンに戻ろう戻ろうという意識はあったのですが、なかなか出来ずにいました。
やはり何かきっかけがないと普段の食生活を変えるというのは難しいと感じていたところに、あまりにも忙しすぎる生活が始まりました。
普段から朝7時前に家を出て帰宅は夜中の12時をまわる頃という生活が続いていた中で、睡眠時間が毎日2時間から4時間で食事をする時間が本当にないという状況までひどくなりました。
本当にそんな生活があるのかと自分でも思いましたがそれが2週間ほど続きました。
夕方まで何も食べていないことの続いた私を見て、周囲の人間が食べ物を買いに行く時間もないほどに切羽詰った私に食べ物を与えようと「何が食べたい?」と聞いてきました。
その度に「肉以外」と答えるようになっていました。
こちらのサイトにも"肉を食べると元気になるという常識のウソ"というアーティクルが紹介されていますが、その頃はそんな知識はなかったにも関わらず体が極限状態に追い込まれて本能的に察したのか、「今肉なんて食べたら倒れてしまう。」と思ったんです。
それ以来また肉は食べなくなりました。
現在はノン・ミート・イーターにあたると思います。
でも、周囲の友人にはペスコ・ベジタリアンと認識されているようです。
家では乳製品も全て大豆で出来ス物かライスミルクしか取らないのですが、外食となるとチーズや牛乳を摂取してしまうもあるので、そのあたりが曖昧な状態になっています。
たまにタンパク源と思って卵を食べていたのですが、このサイトを拝見させていただいてその必要がないことを知り、卵もやめようと思うきっかけを与えてもらいました。
何より、大豆製品が大好きで冷蔵庫にはかならず豆腐、納豆、豆乳、があり、たまに食べるヨーグルトも大豆で出来たものなので、もとから十分すぎるほど植物性たんぱく質は取れているんですよね。
そして、子供の頃からたまに出ていた蕁麻疹。その度に乳製品や卵の摂取を控えなくてはならなかったことを考えても私の体には必要ないということの表れのような気がします。
今後外食での乳製品ももっと厳しく取り除いていこうと思っています。
自分の体が欲していないのに尊い命を犠牲にすることはできません。
といいながら、魚はたまに食べているんですが。
魚介類で体に影響が出たことはまだありません。
2)その後の苦労話
アメリカで生活をしていることもあり、ベジタリアンへの認識も高くあまり苦労はしていないと思っています。
友人知人にもベジタリアンは多いので。肉を食べないと知ると「思想上のためか?健康のためか?」とよく聞かれますが、
実際は両方なのにめんどくさいと感じてしまうことが多々あり、アレルギー体質ということを利用して「健康のため」とだけ答えるようにしています。
肉食の人たちと思想上のことで論争をする気は毛頭ないのですが、時にはっきりと自分の意見を言うということを抑える行為に疑問を感じないことがなくもありません。
でも、思想上のことは分かり合えない人とぶつかっても溝を深めるだけだと思うので、それが多少のジレンマです。
どちらかといえば、こちらにいる日本人の方に説明する時の方が多少気を使います。
友達にはすらっと言えてしまいますが、知人程度の人だとベジタリアンの多い国にいるとはいえ日本人の私がベジタリアンということで、多少奇妙な目で見られるところがあり、気を使いますね。
向こうにも気を使わせてしまうのが感じ取られるのが不便に感じます。
3)菜食をつづけて良かった点、悪かった点
明らかに体調がいいです。
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