2005年06月17日

MACO

人間は、本来菜食で生きられるんだよ、
そのほうが、ほんとうは自然なんだ・・と
話してくれた友がいました。

私が最初にそれを聞いたのは、
たぶん今から十数年くらい前のことです。

その時の私は、ただ「ふうん・・」と思っただけで
私は、自分が大好きなお肉やお魚を食べないでいるなんていうことはとてもとても考えられませんでした。

それに、私は、みんなで一つ鍋をつつくようなことが
大好きでした。

たとえば、誰かが「お土産だよ」といってなにかを持ってきてくれたら無邪気にみんなでそれを食べる、

そういう雰囲気というのか、そういう屈託のない人付き合いというのが
とてもとても大事だと思っていました。

なんでもありがたく、楽しく食べるのがいちばんいいんだと
思っていました。

友が大切なことを教えてくれてから
だいぶ長い時間がたち、
ある時、私はやっと
生き物に心があるということを
自分自身の心が、正直に受けとめることができる日がきました。

どんな動物も、親から引き離され、また子を失い、
命を断念しなければならないかなしみと
痛み、苦しみ、恐怖・・
そして恨み、くやしみ、無念、
そういったものがあるんだということ、
その事実を、私はある時
自分の心がはっきりと受けとめました。


そして、その日、私は
今より先、絶対に生きて動く生き物を口にしないと
誓いました。
私は、激しい懺悔の涙を流しながら、
あわてて冷蔵庫に入っていた
あらゆる肉と魚類、
冷凍庫に一切れづつラップにくるんでストックしてあった
魚の一片いっぺんを
全部袋に入れ、
その手を休める間もなく
亡き父と、他界している先祖の写真を飾っている小さな香爐を前に
ライターでお線香に火をともして
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と
心の中で、大声で叫んでいました。

あれから約7年半、
生き物は口にしていません。
菜食をして、はじめの1週間は
少しだけたいへんでした。
身体がなじまず、生理的に肉を要求しているのが
よくわかりました。
その頃は知識も少なかったですから、
肉を食べないと、栄養が足らないのだろうか・・?
などと思ったりしました。
でも、何とか意志を貫いて1週間ほどたつと
身体がとても軽くなり(体重は変わらないんですが!)
ふつうに歩いていても、雲の上を楽々移動しているような
不思議な感じを味わいました。
人間は、ほんとうはこんなに楽に生きられるんだな、
今までの重圧はなんだったんだろう、と思いました。

その後、菜食を続けていくうちにますます、
この「らく」な感じを実感していくに至りました。
身体が丈夫になり、疲れにくくなりましたし
(菜食してから、寝込むということがなくなりました。
以前はだいたい年に1度くらいは、いわゆる風邪で熱を出して
何日かふとんで生活するというということが常でしたが・・。)
生理も、以前は、七転八倒するくらいにお腹が痛くなることが
しばしばありましたが
菜食してからはとても軽くなり、痛くもつらくもなくなりました。
何よりはっきりわかるのは
食後の倦怠感がなくなったことです。
以前は必ず、食後にはある種の「だるさ」がありました。
それはしかたのないことなんだろうと思っていましたが
菜食するようになり、食後の「だるさ」は
まったくなくなりました。

菜食することに対して、反対されるようなことも
ないわけではありません。
「出されたら、食べるのが礼儀なのでは?」というふうに
考える方も多いですが
お料理してくださった方に対する礼儀と
命を奪われた者に対する礼儀と
両方あると思います。
お料理してくださった方は、目の前におられて
確かに、その面前でご好意をお断りする、そのことは
たいへん申し訳ないと思いますが
命を奪われた者は、いま物申すことができないだけです。
ですから、私は、誰に賛成されても反対されても
ただ自分として、礼儀を尽くすのみだと思っています。

コチニールという赤虫が、よくイチゴ味のお菓子などに使われていて
そういうものは口にしないのですが、
時々、地面を這っている虫を見て
「自分は、もう虫も食べないんだな・・(虫に対しても、命を重んじられるように
なった)」と、思うことがあります。
人間は、たとえ力があるといっても
弱いものをいじめたり乱暴したりするために、その力はあるのではなく、
たとえ話す口があるといっても
悪口を言ったり、人を傷つけるようなことを言うために
その口はあるのではない、という言葉を
聞いたことがあります。

私は、今までまちがった心で
まちがった行いをたくさんたくさんしてきましたけれども、
また、今もまだ曇った心があり、
過ちも多いですが
自分のほんとうの心、
天賦のものに気づき
そのものでいられるように、
自分自身の舵取りをしていきたいと思っています。

これから日一日と、身体は老化していくけれども
心はますます晴れやかで、充実した境地に進み入っていく、と実感できるようになりました。

生きているってすばらしいなと
はっきり思えるようになったことが、
菜食して実感できるようになった、いちばんうれしいことだと思います。
posted by reasonvegetarian at 00:00| 総合的理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする